「君たちはどう生きるか」・今徳之島にいる私
君たちはどう生きるか 岩波文庫
吉野 源三郎 (著)
「ありがたい」
もとの意味は「そうあることが難しい」という意味だ。
自分の受けている仕合せが,めったにあることじゃあないと思えばこそ,われわれはそれに感謝する気持ちになる。
恵まれた立場にいる人が,どんなことをしなければならないか,どういう心がけで生きてゆくのが本当か,ちゃんとわかるはずだ。
======================
東北の震災当時,私はすでに徳之島にいました。
津波に押し流される映像を島で見ていました。
まだ生まれて間もない第三子に母乳を与えながら仕事をしていました。
あの津波がもし,徳之島に及んでいたら・・・
生きていただろうか,この子を守れただろうか,生きていたとして,そのあとどうやって生きていけただろうか,思考が止まります,想像ができなくて。
口にするものが限定される乳幼児や,行動・移動が制限される高齢者や疾患のある方を抱えておられる方。
どうしたらよいのだろう,と多くの方が考えたでしょう。
私は,ある事実を突きつけられました。
私は生産者ではないという事実。
「食べて」そして「生き繋ぐ」ことにあまりに無知で,無防備であるという否定できない事実。
日頃仕事柄「先生」などと言われているけれど,一番に守らなくてはいけない大事なわが子でさえ,生産者でない私は,究極にいえば「食べさせてゆけない」という事実を自覚したのです。
月日が流れ,子が大きくなり,大人と同じようなものが食べられるようになって,トイレにもひとりで行ける。日々のなかで,同じ日本の中にいるのにあの時の危機的な意識は薄まっていきました。
それでも,私は何をおいても,尊敬すべきは,敬うべきものは「生きていくために」食べられるものを作る人たち・作り出す人たちであり,「第一次産業を担う人たち」であると考えるようになりました。そして小規模であっても自らの食を賄う方々に敬意を払う気持ちになりました。
=================
島に住めば,「先生,このまえはありがとうね~」と作ったものをいただく機会はたくさんあります。
今は,心から「ありがたいしあわせ」と思います。
「そうあることが難しい」ほどのしあわせをいただき,私は何をすべきか。
ものを作り出すことができる生産者の方々にこそ必要な「知恵」や「知識」提供していくことが私の仕事です,とお伝えしています。
離島は毎年台風の際に,船が止まり,物資の流通が止まります。台風でなくても,波の状況で,本土と同じようにはならないことも多いので,タイミングよく備えるようになり,慣れて来ました。
でも,ちょっとした不自由の裏に,日頃は不自由を感じさせない方々の働きが常にあることを意識できるようになりました。
台風で定期船も,飛行機もとまり,停電,断水となるなか,子供をお迎えに行った保育園で,保育士さんが,「島はね~,台風になると冬瓜を料理するのよ~」
普段台所に転がっていて,気にも留めないけれど,「あれがあれば,一品になるから」と笑いながら言う保育士さんに,生きる姿勢を学びます。
いつも見えていることなのに,本当にそのものを見ているのか,その背景まで想像しているか,想像して自分はどう思うのか,自分はどうすべきなのか。
何十年も前に書かれたこの書籍で,登場するコペル君より,遥かに年齢を重ねた私が,「考えて物事をみる」ということができていないことを自覚するものでした。ものごとは常に自分の目の前に置かれているのです。
この書籍は,過ちや,見栄等たくさんの題材があり,そのいずれもが己の心を動かしました。何十年も前にこのことが書籍化されるものであったにも関わらず,今の時代はそれが生かされていないということも悲しいことでした。
でも,大事なことは,小さな個である私が,自覚し,生き方を決め,行動していくことなんだということ。そうしなければ,この書籍の教えを生かす一歩になりえないのだから。
気になっておられる方には,是非手に取っていただきたい。
最後の最後の頁まで読み応えのある書籍です。
社労士・行政書士 かしむら