与論でパーマカルチャーを考えた
司法書士の柏村です。
パーマカルチャーとは,人間にとっての恒久的持続可能な環境を作り出すためのデザイン体系(自然との関係性)のことです。
そもそも,奄美大島や徳之島,沖永良部島,与論島は離島であるので,その小さな環境のなかで生活し,文化が育まれており,かつての島の暮らしは,パーマカルチャーが十分に成り立っていたといえます。
今回は,司法書士会大島支部の相談会で与論島を訪れ,与論の調査士さんに与論民族村などを案内してもらったのですが,パーマカルチャーを学んでいるかのよう,その言葉ひとつひとつに重みがありました。
与論島は,(北から)徳之島,沖永良部島に続く島で,沖縄本島も望めます。観光客が汗だくで自転車を漕ぐ姿が印象的。自動車では30分もあれば一周回れる小さな島です。映画「めがね」の舞台で,砂浜とサンゴの隆起で出来た岩が織りなす海岸が続きます。
素敵な楽園
与論島の海岸のなかには,干潮時にだけ行くことができる小さな砂浜(場所)があり,そこは,かつて男女が憩う楽園であったそうです(現在も活用されているかもしれません)。その場所は,次の干潮時まで誰にも邪魔されないわけです!自然の波長に合わせる人の営み・・,その話を聞いたとき,とても素敵だなと思いました。
県に対する属性の意識がほとんどない
与論は,琉球王国であったり,薩摩藩であったりした時期があるようですが,そのたび生活様式や文化的には影響します。でも,与論島民であるという認識こそあれ,鹿児島県民という感覚はほぼないといいます。物理上他の陸と離れていることは,属性の意識に大きく影響しているのですね。
与論島民は青森のリンゴは食べられないし,青森のひとは与論のモズクは食べられない
人間は,その地域の食材で生活し,暮らし,生き延びる生活をしてきたわけですが,現代はどうでしょう?
身体はその地域の食材で代々作られいて,維持できるように本来設計されています。その地域から遠くになればなるほど,異物を身体に取り込むことになります。遠洋漁業でしかとれない魚,加工品,もの珍しいものなど,有りがたくいただいていますが,身体への負担が増えていることは容易に想像できます。
呼吸ができない
与論島の住宅は,台風と暑さ(湿度)に耐えうるように作られています。風とおりのよさと木そのものによる湿度調整などです。しかし,最近の建築は,都会仕様のものを運んできて,プラモデルように組み立て,壁紙など張り,見栄えをよくします。しかし,木が呼吸できず,30年耐用設計のものは,20年くらいしかもたないそうです。
都会の方がリゾート地購入を目的として与論に下見に来られ,晴れている場合は「危険」なんだそうです。あまりに綺麗だから,台風の時の想像がつかない。ついつい海が見える場所に建築したりするのですが,その後の台風で,家屋が倒壊することも多いのだそうです。
そして,スズメがいなくなった
経済流通が多くなかった頃,与論島では自分たちが食べる分だけ食物を作り,生活をしてきたわけです(生きること=食糧をつくること)が,農産物が「他者へ売ること」「金に換える」の目的となったとき,政策ベースに農業が移行します。かつて,与論島でも稲作もされていましたが,現在では多く見かけません。ほとんどがサトウキビ畑です。そのため,かつていたスズメがいなくなったそうです。
経済(お金)や流通は生活を非常に便利にしてくれます。私たちの生活もその恩恵に与かっています。
しかしながら,一方で自然に溶け込まないような物質を持ちこみ,複雑にし,皮ふ感覚(自然を感じ取る力)を鈍らせているようにも思えます。
与論島のこれまであったパーマカルチャーは,経済(お金)や流通の発達により,残念ながらもう消えようとしています。