遺影・妻の想い~徳之島から
「先生、私ね早く写真をとらなきゃ、って思うのよ」
「このままだと、亡くなった主人の遺影と私の遺影が並んだ時、夫婦に見えなくなってしまうと思うの」
久しぶりに、お伺いして2時間程お話した後ぐらいでしょうか、その方はそう私に話し始めました。
「みて、主人のお父様はそれはそれは早くに亡くなってしまったの。だから遺影はあんなに若いのよ。でもお母様はそれから長いこと一人で過ごしたから、2人で並んだ遺影は親子みたいでしょ」
そういわれてみれば、並んだお二人はご夫婦には見えません。
「先生、私は亡くなった後も主人と同じぐらいの年齢で並んでいたいのよ」
「この遺影を見るたびにそう思うのよ」
微笑ましい・・・だけではないものを感じました。
ご本人はその言葉どおり思っておられて、私に伝えただけなのです。
子どもは、記憶に新しい元気だったころの「母」の写真を「そのとき」に選んでしまいます。なにも聞いていなければ間違ってはいません。
「本当にしてほしいことは、多くの会話から引き出される。」
終活においては、代々引き継いできたモノ、財産の件も大事ですが、それとは別に心に大切にしまってあるものもあると思えるのです。
多分、そんなに多くはないのです。でも大切なもの。
親が平均余命を超えてきたら、話す機会を増やして、会話をたくさんして気持ちを聞かなくては、本当に大切ななにかにはたどり着けないのかもしれません。
ゆっくりと気持ちを伝えてもらうこと、そして想像すること。
ご縁があって、様々な方とお会いします。
まだまだ、教えて頂くことばかりです。
行政書士 わたなべ