「”今”じゃない」・遺言のタイミングを考える ~徳之島から
「遺書」と「遺言」
遺言の作成について相談したいのだけど・・とご連絡いただき、ご自宅へお伺いする事があります。
すんなり、これこれこういう事情で~、こういう場合どうしたらいいですか?費用は?となり、話がどんどん進む場合もありますが、そうでない場合もあります。
一通りのご事情(親族や財産、これまでの経緯)をお伺いしていると、「遺言をかく(つくる)」とはまた別のご本人の感情のようなものを感じるときがあるのです。
「そろそろね」といいながら発する言葉の端々に「それはこれから折を見て・・・」という空気。
あれはこうしたい、それはこうしたい、でも「こういう方法がありますよ」とお伝えすると、これまでの自分の思いをお話になり、具体的になることはありません。
そのような方にお会いしたとき、私は、その方に「想い」を許す限りお話をしていただくのです。
実は、そういった方は様々な形で情報を収集されていて、そのなかでご自身には合わない情報でも,「形式的なこと」として自身に当てはめて考えてしまっている場合があるからです。
そこをゆっくりご説明差し上げるのです。遺言を遺す必要性は感じているけれど,「今なのだろうか」と考えている人には,「遺言書を作成する」そのことより「考える機会を持つこと」それが全てであったりします。
昨今、「終活」という名の様々なサービスとセットで提供されるセミナーなどで、誤った解釈をしてしまう方も多くなっています。たくさんの情報のなか,自分の得た情報が正しいのか、自分にあてはまるのか、なかなか確認する手段がないのが現状です。
また、「遺言(ゆいごん・いごん)」を遺すということが,「遺書(いしょ)」を書くことと同じように思われている方もいらっしゃいます。自分の大切な財産が自分の手から離れてしまうような感覚に陥って、「あとは最期の時を待つばかりなり」という状況が嫌なのだと思います。
自分の財産を自分の意思で自由にできるということは、「社会と繋がっているということ」を意識できる機会でもあります。「遺言」は「遺書」ではありません。また,「遺言」は1回きりではありません。再度遺言することもできますし,遺言書を作った後でも、財産を自由に売ったり、使ったりできます。その時折の気持ちを大事にし,見直す機会を設けることも大切です。
「今なのだろうか」と感じている方に対し,いつ私がその方のお力になれるか?それは、わかりません。
でも、考える機会になることは間違いないのです。お話を聞かせていただくうえで大切なこと,それは「なぜ、そのように考えていらっしゃるのか?」をいつも心に思いながら,お聞きする,お尋ねすることなのではないかと最近感じています。
行政書士 わたなべ